体験的演技論     演出家 石塚 克彦
狂言「釣狐」の世界(三)


 狂言の稽古は猿に始まって狐に終るという話を前号で書き、始まりの方の「靭猿」(うつぼざる)については紹介したが、狂言師の卒業演目とも言うべき「釣狐」(つりぎつね)については今号に持ちこした。
 「釣狐」という曲(演目)は、狂言師が修業をつんで、気力、体力、伎倆[ぎりょう]が充実してきたときに、まるで大学の卒論のように取りくむと言われている。四〜五才の幼少から修行を始め、「釣狐」に取りくむ時期も大学卒か大学院と同じぐらいの年令かと思われる。
 「釣狐」のシテ(主役)は狐である。
 狐の眷属[けんぞく](一族の身内や仲間)を、ことごとく猟師に捕られてしまった老練な狐が、猟師の伯父である白蔵主[はくぞうず]という坊さん(僧)に化け、猟師の家にやって来て、もう狐を捕るなと説得する。
 猟師の家に近づくとき、犬の声に怯えたり、狐らしい生態を見せたりするところが狂言らしくて面白い。
 坊さんに化けた狐が何んと言って説得するかというと、まず、狐は神だから捕ってはいけないに始まる。
 実際狐はお稲荷[いなり]様の神社の境内には、必ず安置されており、お稲荷さんの使いということになっている。
 お稲荷さんは稲生[いなう]の意味で、稲が生まれる全ての作物や絹を産む蚕[かいこ]の餌となる桑の葉を司る神で、農家では屋敷内に奉っているところも多い。そこには狐の置物が必ず供えてあった。
 もうひとつの捕ってはいけない理由は、狐の怨みの恐ろしさである。怖いぞ!と脅すのである。
 古くから九尾の狐の恐ろしい話が伝えられている。九尾の狐は死んだ後も、殺生石となり毒気を吹き出している。
 私は栃木県那須郡の生まれだが、小学生の頃の遠足は那須山であった。那須山の主峰茶臼岳は活火山で今も噴煙をあげており、その頂上から下ったところに殺生石はある。木とて生えてない瓦礫の山の中腹にある殺生石の付近には、鳥や小動物の死骸がころがっていて不気味だった。殺生石に近づくものは九尾の狐の毒気に当たり死んだりすると伝えられている。
 事実は、火山性の亜硫酸(二酸化硫黄)ガスが噴出しており、その毒が生物に害をなすとのことだが、松尾芭蕉も旅の途中で訪れており「飛ぶものは 雲ばかりなり 石の上」という句を残している。
 狐は尾が二つに割れていると妖術が使えるというが、それが九本もあるのだからとてつもない妖怪ということになる。

 中国殷[いん]の時代に勇猛果敢で知られた王様・紂王[ちゅうおう]が居た。その妃の姐己[だっき]が九尾の狐であった。 豪傑色を好むの言葉通り、紂王は、美しい妃・姐己のための宴会では、池を酒で満たし、食べる魚や肉はもちろん、女や男が裸でからみ合う乱痴気騒ぎがつきものだったという。豪勢で羽目を外した淫らな宴会を酒池肉林と呼ぶようになったのはこのときからだという。
 もちろん紂王は信用を失い破滅する。いまから三千年も前のことである。
 紂王の殷王朝が滅びると九尾の狐は天竺に飛ぶ。天竺とはインドのことであるが、そこでもまた華陽夫人となって天竺の皇太子を惑わし、滅ぼしてしまう。
 天竺の皇太子が潰れると、九尾の狐は再び中国に舞い戻り、冷たく美しい女・[ほうじ]となって周の国の王・幽王の前に現れ、幽王の妾におさまるのだ。周は紀元前七七〇年代の王朝であるのは事実だが、美女、[ほうじ]によって幽王が滅ぼされたのが七七一年のことであると、嘘かまことかものの本には書いてある。
 ツンと澄まして冷えびえと美しい褒?は笑うということをしない。名君である筈の幽王だが何んとしても惚れた褒?を笑わせたくて、馬鹿なことを度々重ね、やっぱり滅びてしまうのである。幽王の[ほうじ]への入れこみ方もドラマとしては面白いのだが、あまりの横道すぎるのでやめておく。
 その後、九尾の狐は日本にやって来る。
 奈良時代、文人として出世した吉備真備[きびのまきび]が遣唐使として中国に渡る。真備が帰国するときの船に、一人の可愛い少女が乗りこみ一緒について来た。この少女こそ九尾の狐だったのである。
 可憐な少女はやがて美しい身元不明の女・玉藻前[たまものまえ]として日本の宮廷に現れる。当時第一の権力者だった鳥羽上皇はいっぺんに玉藻前の虜になってしまう。
 ところが上皇が玉藻前を愛するようになってから、身も心も衰えてゆく。役人たちは大騒ぎであるが、妖狐の化けた玉藻前とのセックスで精気が吸いとられてしまうなどということは、当時の医術ではわかろう筈もない。
 美女玉藻前が九尾の狐であることを見破ったのは陰陽師(国の運命などを占う)・安部泰成[あべのやすなり]であった。
 見破られた九尾の狐は下野[しもづけ]の国(栃木県)那須野ヶ原の巣に逃げかえった。
 そこで朝廷の命を受けた豪の侍いに弓矢で射殺されるのであるが、死んでも魔性の巨大な殺生石となり、その妖気も毒気も消えないのである。
 ちょっと長くなったが、九尾の狐の話は、私の子供の頃には最も恐ろしい話として誰もが知っていた。フランケンシュタインやジキルとハイドなどの輸入怪人は、未だ庶民の間に行き渡っていなかったし、九尾の狐は殺生石という証拠まであるのだから、真に迫って恐ろしい話であった。
 だから九尾の狐は狂言で使われているだけではない。歌舞伎の舞踊劇で「姐己[だっき]」というのを見たことがある。猿之助(現・猿翁)が襲名前・市川団子と呼ばれていた時期に、実にあでやかで妖艶に踊っていた。
 歌舞伎の俳優は、若く初々しい時期によく女形・娘役をやる。それはほんとに可憐でいたいたしい程に美しい。青年期の男が仕草や身体付まで女性になりきる訓練というのは、相当なものである。
 市川団子の姐己の舞いは可憐というよりは、かなり迫力のまさった妖艶さであった。その印象が今も残っている。
 姐己をもじった歌舞伎の演目には、河竹黙阿弥の作になる「姐己のお百」というのがある。京都祇園の出で、廻船問屋から秋田藩の家老まで手玉にとる悪女のものがたりである。


 玉藻前の話も古くから浄瑠璃になったり歌舞伎になったりしている。「玉藻前曦袂[たまものまえあさひのたもと]」という演目である。また美人画で知られた浮世絵師・渓●英泉[けいさいえいせん]も画図玉藻譚[がずたまもたん]という組絵を描いている。
 英泉の玉藻前[たまものまえ]の図は、人間の頭を呑みこんでしまいそうな巨大な生殖器をガバッと正面に拡げ、坊さんを圧倒し惑わしている姿である。それはエロチックというより恐ろしさがまさった図であった。
 九尾の狐と玉藻前[たまものまえ)の恐ろしい話は、かって日本人なら誰もが知っていたものがたりである。
 狂言「釣狐」の古狐が化けた僧は、狐は稲荷大明神ゆかりのものであるから有難い存在だということと、真逆に、狐は怨念の恐ろしい妖怪だという話をして猟師に狐を捕るのを止めろと言ったのである。
 そして、その説得はまんまと成功して、猟師に手持ちの狐捕りの罠を捨てさせたのである。
 古狐は「ヤッター!」である。
 猟師の家から帰る古狐は、嬉しさのあまりぴょんぴょんと跳ねながら小歌を謡うのである。
 狐になり切って飛び跳ねながら喜びの歌を謡う。これが生半な体力では、息があがってしまって出来ないと聞いた。
 まず狐になるには両肘を腋に密着させていなければ狐の型になれない。狂言は両腋を張って演ずるのが常で、その稽古をして来た役者が、逆をしなければならないということである。また両膝(りょうひざ)もあわせて、背中をまるめ腰を中腰で構えたまま歩いたり走ったりする。これを獣足[けものあし]というのだそうだ。
 「釣狐」では、そのうえ化けた僧の衣を着た下に狐のぬいぐるみまで着ている。
 声も裏返しに近い狐声を出さなければならない。狂言師はいつも胸を張り、朗々と快い声を出す訓練をして来ているのに、背中をまるめ胸をちぢませて、裏声を出す。しかも獣足のままぴょんぴょんと跳ねながら喜びの小歌を謡う。いかにも楽しそうに。
 それが肉体的に生理的にどんなに大変なことか、「釣狐」を演じきった狂言師にしかわからないだろうと言われている。

 ミュージカルで踊りながら歌うのもかなり大変だ。踊りの振りを声が出やすい振りや、テンポのとり方を微調整する技術がなければ、踊りながらの歌はすぐに声をダメにしてしまう。
 ことに新人俳優にとって気の毒なのは、歌の先生とダンスのインストラクターが違うことである。歌の先生は体形を安定させ、声の出しやすい姿勢で発声することを指導する。しかしダンスの方は、スピードを出して動き、跳び、回転することを要求する。ちゃんと歌えば動きがにぶくなり、ちゃんと踊れば声が出なくなる。
 全くどうすりゃいいんだ!が、ミュージカルの新人俳優である。
 狂言の「釣狐」は、それを諸に要求する。しかも常々訓練してきた姿勢や歩き方、発声まで、まるで真逆なことをやってのけなければならない。その苦痛を感じさせずに客を楽しませねばならないのだ。まさに一人前の狂言師になるための試金石となる演目である。
 ものがたりは狐が「ヤッタゼ!」と喜んでいるところでは終わらない。
 喜び謡いながらふと見ると、猟師は家にある罠は捨てたのだが、山の中に仕掛けた罠はそのまま残っているのである。罠の餌は狐が大好きな若鼠の油揚げだ。
 古狐は、罠の餌にちらっと目やるが、近づいてはイケナイと自分に言い聞かせる。しかし好奇心や食べたい誘惑を断ち切れず、餌に引きつけられてゆくのである。
 古狐は、罠は狐の一族や仲間を捕らえた憎き敵だ。敵をうつには餌を喰うしかないなどと理屈をつけ、自分をごまかし、食べようと近づくのである。
 わかっていながら喰いたいという欲望をこらえきれないのが畜生のあさましさであるなどと、狂言の解説書か何かで読んだ記憶があるのだが、私が「釣狐」を観ているとき、このシーンで「バッカだなァー、判ってるだろう!止めとけよ!」と心で叫んでしまうのである。わかっているのに餌に喰いつき罠にかかってしまったら、こんなに哀しい性はないと息苦しくなってくるのである。
 そして、自分の中に、やってはいけないと判っているのに、何んだかんだと都合のいい理屈をつけ、ごまかしながらやってしまいそうな自分を見つけ、俺も同じかも知れないと情けなくなるのである。
 だが古狐は餌に近づくものの、僧・白蔵主[はくぞうず]に化けるために着てる衣が邪魔なのに気づき「脱いでこようっと!」と一旦は去るのである。
 一方猟師の方は、伯父の白蔵主と思っていたが、何ーんか怪しいなどと引っかかり、仕掛けてある罠のところに様子を見に来るのである。
 すると罠の餌の部分があらされている痕跡があるので、やっぱりあれは狐だったのだと気づき、バカにされてたまるかと罠の餌を仕掛けなおすのである。
 そこに衣を脱ぎすて、狐本来の姿で現れた古狐は餌に喰いつき罠にかかってしまうのである。
 狐が罠にかかった瞬間、観ている私は「何んでだよォー!喰い気なんかに負けんなよォ!」とそんな想いが胸を刺すのを今も覚えている。
 しかしそこは古狐。猟師とやり合っているうちに罠が外れ、逃げてゆくのである。そして猟師は狐を追いかけるところでこの曲(演目)は終る。
 もし捕まったまま幕(狂言には幕はないが)となったらどんなに哀しく無惨なことだろう。狐を殺さないところが、狂言のエンターテイメントなところだなと胸をなでおろす。
 判っていながら餌に喰いつき罠にかかってしまうのは、ほんとうにバカだと思うけれども、バカはバカなりに生きてて欲しいと想うのは人情だろうか。
 古狐を演ずる狂言師は、狐そのままの姿と、人間・白蔵主に化けたときを演じわけねばならず、しかも人間に化けたときは人間になりきるのではなく、狐が化けた人間であると狐を残して登場する。どこまでも高い演技力・気力・体力を問われる曲・演目である。

 狐の眷属[けんぞく](身内や仲間)がことごとく釣られ(捕らわれ)てしまったという哀しい背景も含め、その上に本能に打ち克てないという哀しさを重ねた「釣狐」の世界は、笑いばかりではない心のドラマを感じさせられ大好きである。